うちくんが30歳の世界。
世界のみなさんこんにちは。さやさやです。
先日、2016年9月10日は内博貴くんの
30回目のお誕生日でした。おめでとうございます。
私が彼を知ったのは今から13年前の2003年。
彼も10代で私はまだ一桁代でした。恐ろしい。
2005年の7月、18歳にして飲酒をし補導されてから
19歳のお誕生日があった2005年9月。
20歳のお誕生日があった2006年9月。
彼の姿を確認することができないままでした。
ジャニーズ恒例の成人式イベントに現れるわけでもなく
成人という大きな節目をちゃんとお祝いできなかったからこそ一年を通して姿を確認することができた上で30歳をお祝いできることがすごく嬉しい。
内くんにとってもファンにとっても内博貴の20代は
とてつもなく濃い10年間だったと思います。
PLAYZONE、一瞬の風になれ、おせん、LIVE復帰、ヤマトナデシコ七変化、バカレア、昼ドラ、ガイズ、美男ですね、デュエット、オダサク、ペールギュント、グレイトギャツビー、ジャニワ、最高は一つじゃない、全国ツアー、内Q、ラジオ、忍たま、スマスマ、、、
こうやって振り返ってみると数は多くなかったもののバラエティ、映画、舞台、ドラマ、LIVEなど彼が携われるほとんどの分野をこなしてきたんだな〜と。復帰LIVEにえいとのメンバーが遊びにきたのは本当に嬉しかったし、ヤマナデで手越とかめと共演してたのも嬉しかった。なにより一瞬の風になれで錦戸くんと共演したのは本当に本当に嬉しかった。ガイズ&ドールズはとにかくかっこよかったし、今でもあのビジュアルで再演してほしいって思ってる。
事件が起きる前はテレビに出てて当たり前だったし、メンバーと仕事してるのが当たり前だったけど事件以降は仕事が決まるたびに内くんにお仕事が!!!って嬉しくなって関ジャニ∞やNEWSが内くん関連のこと発言するだけでこの上ないくらい喜んで。
そしてなによりもずっと見てきたからこそ
"Endless SHOCK "は彼にとって転機だったんじゃないかなって。
あの作品に携わる前は役者として歌手として責任がなかったというか、ただ与えられた仕事をこなしてるだけに見えた。
LIVEでは歌詞を忘れたり、間奏中に咳込んだりね。
その度にちゃんとしろよって7歳も年上の彼を非難したり。そもそも私の周りには内くんだいすき💖みたいな子はいなかったわ。笑
いつも上から内くんを貶すけどなんだかんだ内くんのことだいすきな子がたくさん。そんな彼女たちに出会えたのは内くんがジャニーズを辞めずにいてくれたから。
復帰してからも順風満帆だったわけじゃなくて、外部の舞台には呼ばれるけどジャニーズの舞台には呼ばれなかったり、横浜アリーナで復帰LIVEしてたのにどんどん会場が狭くなってクリエも埋められなくなったり、ようやく見つけた仲間と別れることになったり。
いつだって辞めてもおかしくない状況が隣り合わせだったけどそれでもジャニーズ事務所に残ってくれてるから毎年この時期はお誕生日おめでとうだけじゃなくてジャニーズ事務所を辞めずにいてくれてありがとうって勝手に感謝してます。
もし、内くんが無期限活動自粛のままジャニーズを辞めてたら博famを始めとするぴーちんには出会えてなかったんだろうなぁって思うと恐ろしい。
そして今年は30歳の節目ってこともありだいすきな子たちとデュアルモニターを借りてお祝いという名のDVD観賞会してきました。
念願だったデュアルモニター!!!
想像してた感じと違ったけど楽しかった、、、
映像化されているやつは少ないからなんどもなんども見たやつなのに何回見てもかっこいいところはかっこいい。
PLAYZONEに収録されていた
内withQuestion?のプチプチLIVE映像。
みんなで泣きそうって言いながらやっぱりアイドルがいいねって。どこの会場なら埋められるかなって真剣に考えてみたり。
たったの2時間しか借りれなかったから今度はフリータイムで集まりたいところ。それよりも生で歌声聞きたいから30代はLIVEやってほしいな。切実に。
そのあとは内くんのお誕生日関係なしにアリスカフェ行ったりオクトーバーフェス行ったり呑みに行ったり。
出会ったきっかけは内くんだったけど今じゃ仕事の話もするし恋愛の話もするし普通の友達。笑
だからこそだいすきな子たちに出会わせてくれた内くんには感謝しても感謝しきれない。
住んでるところも年齢も仕事もバラバラだけどこうやって集まれる友達がいるって幸せでしかない。ありがとう内くん。
最近やっとジャニーズの舞台に呼ばれるようになってJr.からも慕われるようになってる姿見れて安心してます。関西Jr.の平野くんとのやりとりで内くんが突っ込んでるのを見るとお兄ちゃんになったんだなーって。勝手に嬉しくなってます。
どんな内くんだってかっこいいけどLIVEで歌って踊ってアイドルやってる内くんがいちばんかっこいいってこと気づいてね。お誕生日おめでとう。30代も色々な経験をしてかっこいい内くんでいてね。
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自分らしく楽しく生きたい
どうもこんばんは。さやさやです。
世間では大型連休とやらで賑わっていますが、そんなもの関係なくお仕事させて頂いてます。
社会人3年目にして現在3社目。我ながらゆとりど真ん中だなと感じております。
2年前。専門学校を卒業して就いたお仕事は編集アシスタント。ずっと夢に見ていた職種で正社員でした。仕事内容は楽しかったものの36時間拘束は当たり前、明日が仕事なのか休みなのかもわからない、昼も夜もお弁当生活、お家に帰れない、お風呂に入れない。こんな生活をしていました。
もちろん話には聞いていたし、そのためにコンビニバイトで夜勤を経験したり、覚悟もありました。でもまだ20歳そこらの女子にはきつくて。周りはみんな大学で楽しんでるのに私はずっとこのままなのかな。彼氏もできずに太っていくのかな。って。
"ちゃんとした生活がしたい"
その想いが強くなり憧れていた職種を辞めてしまいました。その次に就いた仕事は9:30〜17:00枠で温泉施設のフロントです。これはパートでした。
仕事内容は主にお客様にロッカーキーをお渡しして館内の説明をしたり、宿泊予約取ったり、常連さんのお話相手になったりと凄く楽しかった思い出です。
ただ観光地ってこともあり客層が良かったとは言えないですけどね。
17:00上がりだったので毎日のようにお仕事帰りは飲み歩いてました。とにかく毎日違う人に会って刺激を貰えていましたが、ふと気づいたんです。
"このままじゃダメだな。"
いつまでもこんな生活をして実家に住み着くわけにはいかないな、と。そこで次は一人暮らし資金を貯めるために実家から近いところでアパレルの派遣社員になりました。
探してみるとアパレルでも派遣社員って結構あるんですね。驚きました。キラキラしてる女性の世界に飛び込んでみて感じたことがあります。
"私がやりたいことは販売じゃない"
誰かに喜んで貰うことは大好きだし、自分が声かけたお客様が商品を買ってくださるのは嬉しいけどやっぱりメディアに携わるお仕事がしたいなって感じてしまったんです。
石の上にも三年という言葉がありますが、私は三年経ったところで辞めるならいつ辞めても同じだと思っているので周りから非難されることもしばしばありますがこんな生き方もありかな、と前向きに生きてます。
そもそも外に出て働くことが向いてないんですけどね!(笑)
だから新卒で社会に出た同い年の子たちに伝えたい。辞めることも一つの手だよって。
転職したらした分だけ自分の得意な仕事や苦手な仕事が見つかってきます。経験を重ねてどんな日々を過ごしたいかが見えてきます。転職しても相性が合えば前の職場の人と連絡取り合えます。
好きなように自由に生きたい。私はいつだってこう思っています。仕事が嫌だからって線路に飛び込みとかしちゃだめだよー!!!残された遺族に多額な借金が残るだけだからねー!!!!!何よりも電車遅延やめてー!!!!!
以上。またふらっと書きにきます。
残しておきたかったこと。
おこんばんわ。さやさやです。
どうしても残しておきたかったことがあったのではてなブログ開設してみました。
元々文章書くの好きだからねAmebaもcroozもデコログも開設してるしメルマガ配信やっていた時代もあるんですけどね。少しはてなブログのブーム去った感ありますが気にせず進みましょう。
今回どうしても残しておきたかった内容は関ジャニ∞の元気が出るLIVEについて感じたこと。ただの自己満です。
私が関ジャニ∞を知ったのは2003年の話。元々お母さんがSMAP好きだからジャニーズが出てるテレビ番組をずっと見てて。小学生ながらにNEWSというグループがデビューすることを知り、なんとなく内くんって人かっこいいってなり、お母さんと一緒見てたドラマ僕の生きる道に出てた人なんだ!ってなり、アイドル雑誌を買うようになり、関ジャニ∞ってグループにも内くんいるんだ!って。
でもその頃はNEWSの活動している内くんしか興味がなくて。ちゃんと関ジャニ∞を見るようになったのは東京で番組持ちます!ってなってる記事を見てからだと思います。
東京タワーの麓で内博貴と錦戸亮を含む8人が嬉しそうな顔をしている記事を見たときから。
そこから私のがっつりヲタク人生は始まりました。
それからの日々は裏ジャニ録画して、希望〜Yell〜買って、ほんじゃに録画して、紅く燃ゆる太陽買って、関ジャニ∞のデビューが決まって、音楽番組は全部録画して、ジャニーズ野球大会観に行って、感謝二∞っていうアルバムが出て、ごくせんがきっかけでクラスの子と喧嘩して、チェリッシュが発売して、大阪レイニーブルースが発売して、毎週のようにMステに内くんと亮ちゃんが出てて、NEWSのコンサートが決まって、Touchというアルバムが出て、、、
本当にものすごく楽しい日々を過ごすことができた思い出です。お小遣いは全て内くん関連のものに費やしてたな、、
ずっとずっとこんな楽しくて幸せな日々が続くんだと思っていました。彼が事件を起こすまでは。
このことについてはもう何度も何度も書いてきたので省略しますね。わからない人は検索でもしてください。
ずっとグループに戻ってくると思っていました。メンバーだって遠回しに8人アピールしたり、ソロパートも8個あるやつとかあったし、2007年にはステージに8人で並んでいる姿があったから。この日私はお家にいたから見れてないけど。話を聞いてなんでわたしお家にいるのって声を上げて泣いたのも今となっては良き思い出。
しかしながら彼はもうグループに戻ってこないんだなってやっと気づいたのが2009年。ずっと大倉くんが連載の最後に書いてくれてた「8→1」って単語が消えてなんかおかしいなって思っていた2009年。高校一年生の時です。関ジャニ∞のPAZZLE長野公演に入った時に強くそれを感じました。もちろんその前の2008年ではソロでLIVE復帰だったから薄々は気づいていたんだけど、亮ちゃんと特別ドラマやったり、ソロコンにはメンバーが遊びにきてくれたし、グループ時代の曲歌ってたし、関ジャニ∞とNEWSがいるジャニーズのカウコンにも出てたから信じたくなかったんでしょうね。戻ってくると思っていました。
たまたま入った長野公演の前日にメンバーでお酒を飲んでこれからのことを泣きながら語り合ったってMCで話す関ジャニ∞を見てそこでやっと悟った感覚でした。
実際に2009年から関ジャニ∞は東京のジャニーズカウントダウンには出演せず大阪にて単独のカウコンが始まり、内くんと共演することはなくなっていました。
それを悟ったからといって関ジャニ∞を嫌いになるわけでもなく内くんを嫌いになるわけでもなく関ジャニ∞も内くんも両方追いかけてました。酷いときなんてLIVEの時期が重なって一週間のうちにえいとのLIVE、内くんのLIVE、えいとのLIVEみたいな時もあってあいうぉんとまねー状態。
それから内くんは新たな仲間を見つけツアーをやってくれるようにまでに。2011年の夏ツアーの時には事件を起こしたことについての言及がありました。
「よく関ジャニ∞に戻ってほしいって書かれたファンレターをもらうことがあるけど、でも僕はもう後ろを振り返りたくないんすよ。振り返ったら前に進めない」
あぁ、内くんに新たな仲間ができたならそれを応援しなきゃいけないな。これからが楽しみだなって。思っていたのにも関わらず翌年にはどんどん辞めていくバンドメンバーたち。内くんはどうなっちゃうんだろうって。
その一方で関ジャニ∞はどんどん大きくなって。気づかないうちに人気になってて。チケットが取れなくなってて。当たり前のように単独カウコンやっていて。私が好きな関ジャニ∞らしさがなくなっていて。それでも快進撃は止まらなくて。彼らがデビュー当初から言っていた
"8周年は大きなことがしたい"
それを見事にやりとげてくれた2012年。彼らは∞祭、すごはち、8ESTと題してたくさんたくさん過去を振り返ってくれました。すごはちが外れた時は荒れまくって失礼致しました(笑)きっとどこかで期待している自分がいたから譲れなかったんでしょうね。残念ながらすごはちを自分の目で見ることは出来ませんでしたが、うちさやに入って貰いたいって沢山の方が協力してくれたこと今でも感謝しています。ありがとうございました。
∞祭の時に発売されたパンフレットで彼らは内くんについて言及してくれました。ずっとずっと求めていた行動で、これを読んで彼らの心にちゃんと内くんはいたんだって気づけたからもういい加減過去にこだわるのは辞めようって。
思ってはいたものの8周年を迎えた関ジャニ∞の勢いは止まることを知らず紅白に初出場。もう内くんの手が届かない存在になってしまったんだなって。関ジャニ∞は大きくなったんだなって。紅白に出てる内くん見たかったなって。ここまで関ジャニ∞見てきて良かったなって。色々な想いがこみ上げてきて友達何人かと大阪のホテルで紅白見ながら大号泣しました(笑)
次の日8EST最終日。いつもどおりLIVEが進み最後のメンバー挨拶。いつもなら誰か一人なのにメンバー全員挨拶し始めて。やすくんのあぐりーのくだりや丸ちゃんの8年前浪花いろは節でデビューしたって話だけでも涙止まらなかったのに錦戸さんが放った言葉で爆発よ。
「8人の時もありましたしね。うん、彼も彼で頑張ってますし、僕も感謝してます」
言葉はニュアンスだけど。内くんの存在がなかったように進められてきた数年間。もう彼らの口から内くんのこと聞ける日が来るなんて思ってもいなかったし、ましてやずっとずっとずっと隣にいてくれた錦戸さんから聞けるなんて。あの時の京セラドームの重い空気忘れることができません。
たまたまオーラスに入ることができてそれを会場で聞いていた私は立てなくなるほどの大号泣。コンサートで泣くことは良くあるけどあそこまでの大号泣はこの日が最初で最後(笑)(笑)今となっては黒歴史(笑)
この日以来私は自分のペースで緩く関ジャニ∞を追いかけていこうと決めて、内担アピールをすることもなくなり、肩身が狭くなる思いもなくなり、関ジャニ∞が出てきた時に人数を数えてしまう癖もなくなり、ピンク色に反応することもなくなり、緩く楽しく2013年も2014年も関ジャニ∞と共に歩んできました。
小学生だった私も今ではすっかり社会人になってしまい忙しい日々を過ごさせて頂いてます。あの事件が起きてから10年経った2015年。何一つ背負うものがない状態で今回の元気が出るLIVE楽しむことができました。アレンジを加えたへぶんりーさいこを歌ってくれている彼らを見て安心感を覚えました。
かつて彼らが言っていた
"俺らのLIVEはコンビニ感覚でいい"
それがようやくわかった気がします。沢山の大切な友達に出会わせてくれた関ジャニ∞には感謝でいっぱいです。これからも自分のペースで緩く楽しく応援させて頂きます!!!
っていうのを2015年のうちに書きたかったけど忙しく年明けてしまったというオチ。あけおめです。